SECIモデルとは|「共有」ではなく「創造」の理論として読み直す

マニュアルを作りました。手順書も揃えました。社内チャットも入れて、議事録も残るようにしました。それなのに、現場は前と同じように動いている。判断に迷うと、結局みんな先代のところへ聞きに行く。

こういうことが、代替わりの前後の会社ではよく起きます。

なぜ起きるのか。それを説明できるのが、SECIモデル——暗黙知と形式知を行き来させて、組織の知識を増やしていく理論です。この記事では、SECIモデルの意味と4つのプロセスを最初に押さえたうえで、「共有の理論として読むと機能しない」という話、中小企業の事業承継に置き換えた具体、この理論に対する学術的な批判、そして生成AIが出てきた今どこが詰まっているのかまでを扱います。

例は事業承継で書きますが、部署の引き継ぎ、ベテラン営業のノウハウの移転、新人の育成にも、そのまま読み替えられます。

SECIモデルとは(3分で全体像)

SECIモデル(セキモデル)とは、個人が持っている言葉にならない知恵と、文書化された知識のあいだを行き来させることで、組織が新しい知識を生み出していく仕組みを説明した理論です。

SECIという名前は、4つのプロセスの頭文字を並べたものです。

表にすると、この4つは「何から何への変換か」で整理できます。

暗黙知へ 形式知へ
暗黙知から 共同化 表出化
形式知から 内面化 連結化

ポイントは、これが一回で終わる直線ではないことです。内面化された知恵はまた次の共同化の材料になる。ぐるぐる回りながら、回るたびに中身が増えていく。この回り方を「知識スパイラル」と呼びます。

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提唱したのは経営学者の野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)。竹内弘高氏との共著『知識創造企業』(英語版1995年、邦訳1996年、新装版2020年)で世界に広く知られました。理論の出発点は1991年のハーバード・ビジネス・レビュー掲載論文、学術的な定式化は1994年の Organization Science 掲載論文です。なお野中氏は2025年1月25日に89歳で亡くなっています。

つまりSECIモデルは、「知識をどう保管するか」の理論ではありません。「知識をどう増やすか」の理論です。ここを取り違えると、この理論は効きにくくなります。

よくある誤解——SECIは「知識共有」の理論ではない

SECIモデルは知識共有の理論ではなく、知識創造の理論です。原著のタイトルからして『知識創造企業』であって、『知識共有企業』ではありません。

ところが、検索して出てくる解説の多くは、事実上「社内の知識をどう共有するか」の話になっています。暗黙知を形式知にして、みんなが見られる場所に置く。そこまでで話が終わっている。

これには構造的な理由があります。SECIモデルの解説記事の多くは、ナレッジ共有ツールや研修、マニュアル作成といったサービスを提供する会社のオウンドメディアに載っています。書き手にとって記事の着地点は自社のサービスなので、話は自然と「共有すれば解決する」という形になります。悪意ではなく、書き手の立場からそうなるというだけのことです。ただ、読む側がそれを知らずに読むと、SECIモデル=ナレッジ共有の枠組みだと思い込むことになります。

共有で止まると何が起きるか。よくある光景はこうです。

社長の判断のしかたを聞き取って、20ページの手順書にまとめた。共有フォルダに入れて、全員に周知した。半年後、誰も開いていない。そして相変わらず、判断に迷った人は社長の席に来る。

このとき失敗しているのは、共有ではありません。共有はできている。ファイルはそこにある。失敗しているのは、その後です。形式知にした知識が、誰かの体に戻っていない。正しい内容が書かれた文書は、それだけでは使われません。使われる状態になって初めて、知識は増えはじめます。

SECIモデルが4つのプロセスを円環として描いているのは、まさにこの点を言うためです。表出化で止まった時点で、スパイラルは回っていません。

暗黙知と形式知——先代の頭の中はどちらか

定義は短く済ませます。

形式知は、言葉・数字・図で外に出せる知識です。手順書、仕様書、価格表、契約書。人に渡せて、コピーできます。

暗黙知は、経験や勘に根ざしていて、言葉にしにくい知識です。もともとは科学哲学者マイケル・ポランニーの概念で、『暗黙知の次元』(高橋勇夫訳)の「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」という一文がよく引かれます。

先に見出しの問いに答えると、承継でこぼれ落ちるのは、ほぼすべて暗黙知の側です。では、その中身は何か。

「熟練工の手の感覚」がよく例に出ますが、中小企業で本当に引き継ぎが難しいのは、たいてい経営者自身の頭の中です。具体的には、この3つです。

判断基準。どの案件を受けて、どれを断るか。値引き要請にどこまで応じるか。社長は毎回それを即決していますが、なぜその線なのかを説明したことはたぶん一度もありません。

人の見方。この社員は今伸びる時期だから任せる、この人は今きついから外す。採用面接で「うちには合わない」と直感する、その中身。

取引先との呼吸。あの会社の担当者には電話より訪問、あの社長は結論から言わないと機嫌が悪くなる、この見積もりは先に一本入れておいたほうがいい。契約書のどこにも書かれていない関係の作法です。

これらは全部、社長の中では一体になっています。だから「マニュアル化してください」と頼まれても、何から書けばいいのか本人にもわからない。ここが承継の実際の難所です。

(暗黙知を言葉にする実務的な進め方は、別記事「暗黙知を形式知に変える方法——一番難しい「表出化」の実務」で詳しく書いています。)

4つのプロセスを中小企業の承継の一年で読む

理論のままだと動けないので、従業員数十人の会社で、社長から後継者への引き継ぎを1年かけてやる、という設定に置き換えます。なお、承継そのものの進め方——先代の会社を「自分の会社」にしていくプロセス全体は、別記事「事業承継とブランディング。先代の会社を「自分の会社」にする方法」で扱っています。この章では、知識の引き継ぎに絞ります。

共同化(Socialization)——同行し、黙って見る時間

共同化は、一緒に体験することで、言葉を介さずに伝わるプロセスです。

承継でいえば、後継者が社長に同行する時間そのものです。商談に同席する。工場を一緒に歩く。銀行との面談に座っている。会議で説明を求めず、ただ横で見る。

従業員30人の建材会社なら、こうなります。 週2回、社長の外回りに後継者が同乗する。車中では雑談でいい。むしろ雑談がいい。「あの人は先代の代からの付き合いでな」という話のほうが、後で効いてきます。取引先に着いたら、後継者は基本しゃべらない。誰に先に挨拶したか、どの話題から入ったか、どこで金額の話を出したかを見ている。

現場ではここが真っ先に削られます。忙しいから、同行は非効率だから、と。ただ、共同化を飛ばすと、後の表出化で聞くべきことが後継者の中に浮かびません。見ていない場面については、そもそも質問が浮かばないのです。

表出化(Externalization)——なぜそう判断したかを聞き出す

表出化は、言葉にならない部分を言葉や図にして外に出すプロセスです。SECIの中で、いちばん意識的な努力が要る場所です。

コツは、社長に「あなたの判断基準を教えてください」と聞かないことです。抽象的に聞くと抽象的な答えしか返ってきません(「まあ、誠実にやることだな」)。

聞くべきは、具体的な一件についての「なぜ」です。

私たちは経営者の考えを言葉にする仕事をしていますが、実際の現場でもいつも同じことが起きます。「あなたの判断基準は何ですか」と聞くと手が止まる。「あの案件、なぜ断ったんですか」と聞くと、話が止まらなくなる。抽象と具体で、出てくるものがまるで違うのです。

同じ建材会社の話を続けます。 同行した商談のうち、印象に残った1件を、その日のうちに社長に聞く。「さっき、値引きを2%までにしましたよね。5%まで出す会社もありますよね。なぜ2%だったんですか」。社長は最初「なんとなく」と言います。そこで引かずに、「じゃあ、5%出してもいい相手ってどんな相手ですか」と角度を変える。ここで初めて、「うちが後から追加工事を取れる見込みがある案件は出す」という基準が出てきます。

これを月2〜3件、1年続ける。年間で30件近い判断の理由が言葉になります。それだけで、後継者の中の地図はかなり埋まります。

聞き手は後継者本人でなくてもかまいません。むしろ、親子だと会話が感情的になりやすいので、幹部社員や外部の人が聞き役に入ったほうが進むことも多いです。

連結化(Combination)——ばらばらの言葉を一つの筋にする

連結化は、出てきた言葉同士をつなげて、一つの筋にするプロセスです。形式知と形式知を組み合わせる作業なので、SECIの中でいちばん機械的にやりやすい部分でもあります。

表出化で出てくる言葉は、そのままだと断片です。「追加工事の見込みがあれば値引きする」「この業界の担当者は決裁権がない」「初回は必ず現場を見に行く」。バラバラのメモが30個ある状態。

建材会社の例では、こうです。 半年たったところで、後継者が30個のメモを分類する。すると「値決めの話」「相手の見極めの話」「初回対応の話」の3つくらいの塊になる。塊ごとにA4一枚にまとめて、社長に見せる。ここで社長が「これは違う」「これは抜けてる」と言う。その修正がまた新しい表出化になります。

大事なのは、ここで作るものを「マニュアル」と呼ばないことです。マニュアルという言葉が出た瞬間、網羅性を求めたくなって、100ページの誰も読まない文書ができます。作るのは、判断の筋を書いた数枚の紙です。

内面化(Internalization)——後継者の身体に戻るまで

ここがいちばん薄く扱われがちで、いちばん大事な部分です。

内面化とは、形式知になった知識を、使い込むことで、また考えなくてもできる状態に戻すプロセスです。SECIの円環が閉じるのはここです。裏返せば、ここが起きなければ、文書は残っても、判断できる人は育ちません。

なぜ内面化は軽視されるのか。理由は単純で、成果物が出ないからです。表出化と連結化には「文書ができた」という目に見える成果があります。内面化には何もできません。人が変わるだけです。だから予定表に入らず、忙しさに負けて消えます。

内面化に必要なのは、突き詰めると3つだけです。

1. 本人が実際に決めること。 見ているだけでは内面化しません。後継者が自分で決めて、その結果を引き受ける経験が要ります。建材会社なら、下期から「金額300万円までの案件は後継者が最終決裁。社長は事後報告を受けるだけ」と決めてしまう。 金額の線を引くのがポイントです。線がないと、社長はつい全部に口を出します。

2. 失敗できる範囲を設計すること。 内面化は失敗の後でいちばん進みます。「あのとき値引きしなければよかった」と自分で痛い思いをした案件の記憶は、手順書を読んだ記憶より、はるかに長く残ります。だから、失敗しても会社が傾かない範囲をあらかじめ決めておく。300万円という線は、そのための線でもあります。

3. 振り返りを言葉にすること。 決めて、結果が出て、そのまま次に行くと、経験は流れていきます。月1回30分でいいので、「今月の自分の判断で、うまくいかなかったのはどれか」を社長と話す。ここで出てくる後継者自身の気づきが、次の共同化の材料になって、スパイラルが一段上に回ります。

期間の感覚も書いておきます。判断の理由を聞き取るのは1年でかなり進みますが、経営者の言語化に伴走してきた実感では、後継者がそれを自分の判断としてできるようになるまでは、もっと時間がかかります。承継計画を立てるときは、表出化に1年、内面化に2〜3年くらいの重み付けで見ておくほうが、現実に合います。文書ができた時点を「引き継ぎ完了」と数えると、そのあとの数年が計画から消えます。

「場(Ba)」とは——知識スパイラルを、予定表の形に落とす

先ほど、SECIは回転しながら知識を増やす「知識スパイラル」だと書きました。そのスパイラルが回るための条件を、野中氏は「場(Ba)」と呼びました。2000年の Long Range Planning 掲載論文で、SECIとリーダーシップとあわせて整理された概念です。

先に、いちばん誤解されやすいところを書きます。「場」は、会議室のような物理的な場所だけを指す言葉ではありません。原典では、オフィスのような物理空間、メールのような仮想空間、志を共有しているという心の空間、この3つを合わせた概念だと説明されています。ひとことで言えば、場とは、そこにいる人たちの間で意味が生まれるための土台のことです。

同じ会議室で同じ議題を扱っても、社長が最初に結論を言ってしまう会と、社長が最後まで黙っている会では、生まれるものがまったく違います。この違いを作っているのが「場」です。

4つの場は、SECIの4プロセスに対応しています。中小企業の1年に翻訳すると、こうなります。

対応するプロセス 中小企業での形
創発場(originating ba) 共同化 社長の外回りへの同行、現場に一緒に立つ時間
対話場(dialoguing ba) 表出化 月2〜3回、具体的な1件について「なぜ」を聞く時間
システム場(systemizing ba) 連結化 議事と判断メモの型を決めて、同じ場所に貯める
実践場(exercising ba) 内面化 決裁権を渡した実務と、月1回の振り返り

(この対応は目安です。原典でも、場とプロセスの関係は一対一に固定されたものではないとされています。表記は「連結化」「システム場」で統一しています。「結合化」と書く解説もありますが、指しているものは同じです。)

この表の使い方は一つだけです。4つとも予定表に入っているかを見ること。私たちが見てきた会社では、対話場とシステム場だけがあって、創発場と実践場がない、という形が目立ちます。話し合う会議と、記録するツールはある。でも一緒に現場に立つ時間と、任せて振り返る時間がない。それでは回りません。

大企業の事例は、理解には使えて、計画には使えない

SECIモデルの解説でよく出てくる事例は、ホンダの「ワイガヤ」やエーザイの取り組みといった大企業のものです。

ホンダのワイガヤは、役職や肩書に関係なく本音で意見をぶつけ合う議論の文化で、対話を通じて新しい概念を生み出す場の代表例として、知識創造の文脈で繰り返し参照されてきました。

エーザイは、野中氏の知識創造理論を経営に正面から採り入れている会社です。公式サイトでも、患者と共に時間を過ごし共体験をする「共同化」を重視すると明言し、すべての社員がビジネス時間の1%を患者や生活者と共に過ごすことを推奨しています。こうした活動は毎年500を超えてグローバルで展開されているといいます。

どちらも、理論の説明としてはよくできた例です。問題は、そのまま持ち帰れないことです。前提が3つ違います。

人数。 数千人の会社は、部署をまたいだ多様な視点をぶつけられます。30人の会社で全員を集めても、視点の幅はそれほど広がりません。

時間。 業務を離れてまとまった時間を議論に充てる形式は、大企業だからできます。中小企業では、社員が3日抜けたら現場が止まります。

専任者。 大企業には、こうした場を設計して回す担当部署があります。中小企業には、それをやる人がいません。実際にはたいてい社長がやることになります。

だから、中小企業がやるべきは「場を分厚くする」方向ではない——中小企業の経営者の言語化やブランディングを支援してきた私たちは、そう考えています。翻訳の方向は逆で、社長の時間の使い方を変えるほうです。

新しい会議体を作るのではなく、社長がすでに使っている時間に後継者を乗せる。商談の車に乗せる。銀行に連れていく。値決めの電話を聞かせる。そのうえで、月に2〜3回、30分だけ「なぜ」を聞く時間を取る。追加で必要な時間は月1〜2時間です。

大企業の事例は、理論を理解するには役立ちます。実行計画のひな型としては、規模が違いすぎて使えません。ここを混ぜないほうがいいと思います。

SECIモデルへの批判と限界——どこまで信じて使うか

SECIモデルには、学術の側からの批判があります。日本語の解説記事で「SECIモデルの課題」として出てくるのは、たいてい「共有するインセンティブがない」「時間がかかる」「ゴール設定が難しい」といった運用上の話ですが、理論そのものへの批判はそれとは別に存在します。使う側として知っておいたほうがいいので、正確に書きます。

実証面の批判——Gourlay(2006)

Stephen Gourlay 氏は、Journal of Management Studies に "Conceptualizing Knowledge Creation: A Critique of Nonaka's Theory"(2006年、43巻7号、1415–1436頁)という論文を発表し、SECIモデルを正面から批判しました。要点は2つです。4つの変換モードのうち3つは筋が通っているように見えるものの、どのモードについても「もっと単純な説明では片づかない」と言い切れる証拠が示されていないこと。そして、理論の根拠とされた調査が、「知識の創造」ではなく「意味のある情報の創造」を測っていた可能性が高いことです。

暗黙知の定義がずれているという指摘

より根本的なのはこちらです。

ポランニーの言う暗黙知は、「まだ言葉になっていない知識」ではありません。人が何かを知るときに、その働き自体が意識に上がらない、という認識の構造を指しています。自転車に乗れる人は、乗っている最中に自分の体の使い方を意識していません。意識した瞬間に、うまく乗れなくなる。

この定義に立つと、「暗黙知を形式知に変換する」という言い方は成り立たない——という指摘が、学術の側から出ています(この論点は、日本では赤尾充哉氏の論考が整理しています)。野中氏の暗黙知は「まだ言語化されていない知識」に近く、ポランニーの用法とはずれている、という指摘です。ただし、野中氏の側にもこの批判への反論があり、決着がついた話ではありません。

野中氏が監修した実務書でも、限界は書かれている

理論の側が限界を認めていないわけではありません。野中氏が監修した実務書『暗黙知が伝わる 動画経営』(高橋勇人著)には、業務のほとんどが身体動作を伴うこと、そして「動作を文字や絵で表現するのは非常に難しく、無理に表現した時点で多くの暗黙知が失われてしまう」という一節があります(ダイヤモンド・オンライン、2024年7月10日掲載)。野中氏本人の言葉ではなく著者によるものですが、監修書がここまで正面から書いている通り、表出化には原理的な取りこぼしがあります。

擁護側——いまも有効だとする再評価

一方で、経営学者の入山章栄氏は、著書『世界標準の経営理論』で野中理論を取り上げ、現代でも重要な理論として位置づけています。1994年の Organization Science 論文の被引用数は、Google Scholar上で約3万5千回(2026年時点)。経営学の論文として最大級に引用されています。

では、どう扱うか——地図としては有効、約束としては信じない

私たちの結論は、否定でも全面採用でもなく、線引きです。

SECIモデルは、「知識が組織で増えていく順番を示した地図」としては、いまも有効だと考えています。共同化を飛ばすと表出化が浅くなる。内面化がないと形式知が死ぬ。この順序の指摘には、実務的な価値があります。

一方で、「暗黙知は手順を踏めば全部形式知にできる」という約束としては、信じないほうがいい。言葉にできない部分は必ず残ります。だから、文書化と並行して、一緒にいる時間そのものを確保しておく必要がある。ここを間違えると、「マニュアルを作ったのだから、もう同行は要らない」という判断になって、いちばん大事なものが伝わらなくなります。

生成AI時代のSECI——ボトルネックは内面化に移った

生成AIとSECIモデルの関係については、一般に「AIは連結化を加速できるが、共同化と内面化は人間の領域だ」と説明されます。文書の整理・統合・検索はAIが得意で、体験の共有や体得は人にしかできない、という整理です。

これは正しいのですが、実務で起きている変化としては、もう一段先があると私たちは考えています。

AIは連結化だけでなく、表出化の一部も肩代わりしはじめました。商談の録音を文字起こしして要約する。会議の議事録を自動で作る。散らばったメモから手順書のたたき台を出す。これらは以前、人が時間をかけてやっていた表出化の作業です。それが安く、速くなった。

その結果、何が起きたか。形式知の量が、以前とは比べものにならないほど増えました。

以前は、社長の判断を聞き取って文書にすること自体が大仕事でした。だから文書の数は限られていて、限られているぶん、読まれてもいた。今は、社内に手順書もナレッジも議事録も大量にあります。

けれど、それを体得する側の時間は、1ミリも増えていません。後継者の1日は変わらず24時間だし、決裁を任される機会が増えたわけでもない。振り返りの時間が増えたわけでもない。

つまり、SECIモデルのボトルネックは、表出化から内面化へ移りました。正確に言えば、内面化は以前から詰まっていました。ただ、表出化のコストが高すぎて、その手前で話が終わっていた。AIが表出化を安くしたことで、隠れていた本当の詰まりがむき出しになった——私たちはそう見ています。これは、ここまで書いてきた「共有で止まると機能しない」という話が、AIの時代にいっそう強く出るようになった、ということでもあります。

以前の課題は「言葉にできない」でした。今の課題は「言葉になったものが多すぎて、誰の身にもついていない」です。詰まっている場所が変わったのに、打ち手だけが昔のまま——AIを入れて、もっと文書を作る——になっている会社は少なくないように見えます。

対策の方向は、この記事でここまで書いてきたことと同じです。文書を増やす投資と同じくらい、決裁を渡すこと、失敗できる範囲を決めること、月1回振り返ることに時間を割く。地味ですが、効くのは結局そこです。

よくある質問

SECIモデルの読み方は?

「セキモデル」と読みます。Socialization(共同化)、Externalization(表出化)、Combination(連結化)、Internalization(内面化)の頭文字を並べたものです。

共同化・表出化・連結化・内面化の具体例を一言ずつ知りたい

営業チームで言えば、共同化はエースの商談に新人が同席すること。表出化は商談の後で「なぜあの順番で話したのか」を聞き出すこと。連結化は聞き出した内容を営業の型としてA4一枚にまとめること。内面化はその型を使って新人が実際に商談し、振り返ることです。承継の文脈での具体例は、本文の4プロセスの章で詳しく書いています。採用の場面で文化を伝えることに使う例は、別記事「採用ブランディングとSECIモデルの関連性|暗黙知から文化を伝える力を育てる」があります。

1990年代の理論だから、もう古いのでは?

理論への批判はありますが(本文の批判の章で詳しく書いています)、知識が組織で増えていく順序を説明した枠組みとしては、今も使われています。むしろ、AIが文書を大量に作れるようになった今のほうが、「形式知を体得する」という内面化の視点の価値は上がっていると考えています。

中小企業でも使えますか?

使えます。ただし、大企業の事例をそのまま真似する形では使えません。最初の一歩としては、来週の外回りや商談に後継者や若手を同席させることから始めて、月に数回「なぜそう判断したのか」を聞く時間を足していくのが現実的です。

原典・論文はどれを読めばいいですか?

まず読むなら、野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』(新装版、2020年)です。学術的な原典は Nonaka, I. "A Dynamic Theory of Organizational Knowledge Creation," Organization Science 5(1), 1994。「場」の概念まで含めた整理は Nonaka, Toyama & Konno "SECI, Ba and Leadership," Long Range Planning 33(1), 2000。批判側も読むなら Gourlay (2006) です。

まとめ——形式知にすることがゴールではない

この記事で言いたかったことは、一つです。

SECIモデルは、知識を共有するための理論ではなく、知識を創り出すための理論である。そして、共有で止まった瞬間に、それは機能しなくなります。

引き継ぎがうまくいかない会社は、たいてい真面目です。マニュアルを作り、ツールを入れ、記録を残している。足りないのは真面目さではなく、円環の後半——形式知になったものが、誰かの体に戻る時間です。

これは理念や文化の話とも、まっすぐつながります。

理念を言葉にする作業は、SECIでいえば表出化と連結化です。社長の中にあったものを言葉にして、筋を通して、一枚の紙にする。ここまでは、やり方さえ知っていればできます。

でも、紙になった理念は、まだ文化ではありません。それを使って誰かが実際に判断し、迷い、失敗し、それでもその言葉に戻ってくる。その繰り返しを経て初めて、言葉は会社の中に根を張ります。内面化されて初めて、文化になる。(理念を根づかせる具体的な施策は、別記事「理念浸透の方法と施策一覧|浸透しない原因は理念の側にある」で書いています。)

正しい言葉を作ることと、その言葉が使われることは、別のことです。SECIモデルが4つのプロセスを円で描いたのは、たぶんそれを言うためだったのだと思います。

引き継ぎのことで手が止まっているなら、次に作る文書を1本減らして、そのぶんの時間を、後継者に決めさせて振り返る時間に回してみてください。円環の詰まっている場所は、たいていそこにあります。

参照した一次情報