SECIモデルと生成AI|表出化をAIに任せると、内面化が止まる

議事録はAIが作ってくれます。要約もしてくれます。手順書のたたき台まで出してきます。ドキュメントは去年より確実に増えました。それなのに、現場が前より賢くなった感じがしない。若手が前より育っている感じもしない。この違和感には、名前がついていないだけで、たぶん理屈があります。

この記事では、その理屈を野中郁次郎氏のSECIモデルで説明します。結論から言うと、生成AIは「表出化」(暗黙知を言葉にする工程)を肩代わりできるようになりました。ところが表出化は、単に文書を作る作業ではなく、書いている本人の理解が組み替わる学習の工程でもありました。そこを外注すると、次の「内面化」が動かなくなる——少なくとも、そう疑うべき研究結果が、教育や医療などの複数の分野から出ています。

読み終えると、次の3つがわかります。ひとつめは、この見立てにどこまでの裏付けがあるか(そして、どこからが未確定か)。ふたつめは、AIは野中氏の言う「場(Ba)」になれるのかという問い。みっつめは、内面化を止めないための具体的なAIの使い方です。

SECIモデルとは——前提を3分で

SECIモデルは、野中郁次郎氏と竹内弘高氏が提唱した知識創造の理論です。個人が持つ言葉になっていない知識(暗黙知)と、文書や数式にできる知識(形式知)が、共同化・表出化・連結化・内面化という4つの変換を繰り返しながら、組織の知識として増えていく過程を説明します。頭文字をとってSECIと呼びます。この記事では、この4つのうち生成AIが何を速くし、何を止めるのかを扱います。

4つの変換を一言ずつ説明します。

**共同化(Socialization)**は、暗黙知から暗黙知への変換です。同じ場にいて、一緒に体験することで伝わる部分。職人の隣で作業を見て覚える、営業に同行して空気を掴む、といったものです。

**表出化(Externalization)**は、暗黙知から形式知への変換です。言葉にできていなかったものを、言葉にする。原典は「たとえ・アナロジー・モデルを順に使うことが成否を分ける」と書いています。SECIの中で一番難しい工程だとされてきました。

**連結化(Combination)**は、形式知から形式知への変換です。バラバラの文書やデータを集めて、組み合わせて、体系にする工程。

**内面化(Internalization)**は、形式知から暗黙知への変換です。マニュアルに書いてあることが、身体で分かっている状態になる。原典は「learning by doing(やってみて学ぶこと)と密接に関係する」とし、形式知は「行為と実践を通じて現実化されなければならない」と書いています。

この4つは1周で終わりません。内面化で身についた暗黙知が、次の共同化の材料になり、また表出化される。この繰り返しを知識スパイラルと呼びます。組織の知識は、この螺旋が回り続けることで増えていく、というのがモデルの中心的な主張です。

各段階の詳しい説明や、実際の企業事例、モデルの成り立ちについてはSECIモデルの全体像をまとめた記事にあります。理論そのものへの学術的な批判についてはSECIモデルへの批判と野中氏の応答をまとめた記事を読んでください。この記事は主記事の深掘りとして、「ボトルネックは内面化に移った」という見立てを、裏付けと打ち手のレベルまで掘り下げます。

生成AIはSECIのどこを速くしたか

まず、これまでよく言われてきた整理から確認します。

ナレッジマネジメントの解説では、「AIは主に連結化を支援するもので、共同化・表出化・内面化は人間の領域だ」という整理がよく使われてきました。たとえばナレッジマネジメントツールを提供するブレインズテクノロジー株式会社は、自社ブログで「AIは主に『連結化』を支援できても、共同化・表出化・内面化まで自動で進めてくれるわけではありません」と書いています(Neuronブログ、2026年5月11日更新)。AIは既にある形式知を検索し、集め、つなぐのは得意。体験の共有や体得は人間の領域だ、という分担論です。もっとも同じ記事は、暗黙知を文書化する表出化もAIが支援できると別の箇所で認めていて、書き手自身、AIの守備範囲が広がりつつあることは織り込んでいます。

実際、現場で起きていることはもう一歩先です。生成AIは、表出化を肩代わりし始めています。

たとえば、こういうことが普通に起きています。

会議を録音しておくと、文字起こしから議事録まで自動で上がってくる。ベテランの作業を撮った動画から、手順書のたたき台が作られる。ヒアリングした内容を投げ込むと、それらしい業務フロー図になって返ってくる。営業の商談記録をまとめて、勝ちパターンの整理まで出してくる。

これらは全部、少し前まで「暗黙知を言葉にする」=表出化と呼ばれていた工程です。人が頭を抱えながらやっていた部分です。それが自動化されました。

結果として、社内に残る文書の量が増えました。議事録は全部残る。手順書は前より整っている。ナレッジベースの記事数も増える。数字の上では、ナレッジマネジメントは前進したように見えます。

問題は、そこから先です。文書が増えても、それを読んだ人の中で何かが起きなければ、組織の知識は増えていません。SECIの言い方をすれば、表出化と連結化が高速化した一方で、内面化がそれに追いついていない。ボトルネックが移動しました。

そして、単に「追いついていない」だけではありません。表出化をAIに任せたこと自体が、内面化を弱めている可能性があります。次章がこの記事の中心です。

表出化をAIに任せると、内面化が止まる

内面化は「読んで分かること」ではない

まず原典の定義を正確に押さえます。2000年の論文(Nonaka, Toyama & Konno "SECI, Ba and Leadership")は、内面化をこう定義しています。

Internalisation is the process of embodying explicit knowledge into tacit knowledge. ... Internalisation is closely related to 'learning by doing'. Explicit knowledge ... has to be actualised through action and practice.
(内面化とは、形式知を暗黙知として身体化していく過程である。「やってみて学ぶこと」と密接に関係する。形式知は、行為と実践を通じて現実化されなければならない。)

大事なのは最後の一文です。形式知は、読んだだけでは知識になりません。行為と実践を通らないと、その人のものにならない。原典はそう書いています。

つまり内面化は、情報を受け取る工程ではなく、身体を通す工程です。だから、いくら良い文書があっても、それだけでは内面化は起きません。ここまでは理論の話として、たぶん誰も反対しません。

表出化は、出力工程ではなく学習工程だった

問題はここからです。

私たちは長いあいだ、表出化を「アウトプットの工程」として扱ってきました。頭の中にあるものを、外に出して形にする。だから、出す作業を効率化できるなら、したほうがいい。そう考えるのは自然です。

でも、実際に手順書を書いたことがある人なら分かるはずです。書いているうちに、自分でも分かっていなかったことに気づく。

「あれ、なんでここで一度確認を入れてるんだっけ」「この判断、条件を言葉にするとこうなるのか」「今まで例外だと思ってたけど、これ実はルールで説明できるな」。書く前と書いた後で、本人の頭の中身が変わっています。

表出化は、外に出す工程であると同時に、内側を組み替える工程でした。言葉にする苦労そのものに、学習の効果が埋まっていた。

AIに任せると、成果物は出ます。しかも早い。でも、本人の頭の中は書く前のままです。文書は生まれたのに、その人は何も学んでいない。この状態が組織全体で起きると、「文書は増えたのに現場は賢くなっていない」という違和感になります。

認知科学の土台:自分で作ったものは、受け取ったものより残る

この現象は、学習研究では昔から知られている2つの効果で説明がつきます。

ひとつめは生成効果です。1978年のSlamecka & Grafの研究で示されたもので、自分で語を生成したほうが、ただ読んだだけの語より記憶に残りやすいという現象です。同じ内容に触れていても、受け取ったのか自分で作ったのかで、その後の定着に差が出ます。

ふたつめはテスト効果です。2006年のRoediger & Karpickeの研究がよく引かれます。教材を再読するより、思い出す練習をしたほうが長期の保持に効く。しかも面白いのは、本人の実感は逆になることです。あとでどれくらい思い出せそうかを本人に予想させると、再読したあとのほうが高く見積もる。実際の長期保持は、その逆でした。楽さと定着が逆を向いています。

この2つを並べると、AIに任せることの構造がはっきりします。**AIは、生成する部分と、思い出そうとする部分を、まるごと引き受けてくれます。**そしてどちらも、定着を作っていた部分でした。しかも手応えの面では、AIを使ったほうが「うまくいっている感じ」がします。学習中の実感は、あてになりません。

なお、この文脈で「手書きでノートを取ったほうがパソコンで打つより理解が深い」という2014年の有名な研究(Mueller & Oppenheimer)がよく引かれます。ただ、この研究は2019年の追試(Morehead et al.)で群間に一貫した差が出ませんでした。ですのでここでは、「言葉をそのまま写すやり方は、自分の言葉に置き換える工程を飛ばすので学習に効きにくい」というメカニズムの仮説として受け取るにとどめます。「手書きのほうが優れている」とは言えません。

実証研究を4本、限界込みで

ここからは、実際に測った研究を見ます。それぞれ「どこまで言えて、どこからは言えないか」を一緒に書きます。

1本目:SECIの語彙のまま観測した研究

Barreto & Abarca(2025年、Heliyon誌掲載・査読済み)は、ペルーの3つの大学の経営学部生200名を対象に、財務の授業でSECIの各段階をChatGPT使用群(100名)と不使用群(100名)で比べました。既存のクラス単位で群を分けた、事後テストのみの準実験です。無作為割付はしていません。

結果は、アブストラクトの言葉をそのまま引くとこうなります。

while the use of ChatGPT improved the quality of interaction and externalization of knowledge in the experimental group compared to the control group, it did not have a notable impact on the quality of combination or internalization of knowledge.
(ChatGPTの使用は、実験群において学生同士のやりとりの質と知識の表出化を改善したが、連結化や内面化の質には目立った影響を与えなかった。)

注意したいのは、この研究が示したのは「内面化が下がった」ではなく「上がらなかった」だということです。表出化だけが改善して、内面化は動かなかった。この記事が問題にしている形が、SECIの用語のまま観測されたことになります。著者らも考察で、内面化の段階では両群の知識の定着に大きな差はなく、むしろ使わなかった群がわずかに上回った、と書いています。

ただし、設計の緩やかな準実験ですし、掲載誌の査読水準には議論もあります。この1本に重い結論は載せられません。「SECIの言葉で測った例がある」という位置づけにとどめて、もっと硬い研究に進みます。

2本目:害があるのはAIではなく設計だと示した研究

Bastani らの研究(2025年、PNAS、査読済み)は、トルコの高校生約1,000名を対象にした無作為化のフィールド実験です。生徒を3つに分けました。素のChatGPTを使える群(GPT Base)、答えを直接教えずヒントで導くよう設計されたAIを使える群(GPT Tutor)、AIなしの対照群です。

練習しているあいだの成績(練習問題の正答率)は、AIを使った群が大きく上でした。対照群との相対比較で、GPT Baseは48%高く、GPT Tutorは127%高い。

ところが、AIを取り上げた状態で試験をすると、結果が逆転しました。**GPT Base群の試験の点数は、AIを一度も使わなかった対照群より17%低かった(相対値)。**練習中に一番よく見えていた道具が、力を残していなかったことになります。

ここで大事なのは、GPT Tutor群ではこの負の効果がほぼ消えていたことです。つまりこれは「AIが悪い」という研究ではありません。**「答えを丸ごと出す設計が悪い」という研究です。**同じ生成AIでも、答えを出すか問いを返すかで結果が反対になりました。この違いは、後の打ち手の章で中心になります。ひとつ付け加えると、GPT Tutor群でも試験成績が対照群を上回ったわけではありません。負の効果が消えた、というところまでです。

3本目:ベテランでも起きうることを示した研究

Budzyń らの研究(2025年、The Lancet Gastroenterology & Hepatology、査読済み)は、医療の現場のデータです。ポーランドの4施設で、経験2,000件以上の内視鏡医19名を対象にしました。ポリープ検出を支援するAIを導入する前後で、それぞれ3か月ずつ、「AIを使わない」大腸内視鏡検査1,443件を比べています。

大腸内視鏡でポリープの一種(腺腫)を見つけられた割合が、AI導入前の28.4%から、導入後は22.4%に下がっていました。6ポイント、相対では約2割の低下です。AIを使わないときの、人間側の成績です。なお、AI支援下の検査での発見率は25.3%で、導入前のAIなし検査よりも低い値でした。「AIを入れれば人間の分を補える」という単純な図式でもありません。

限界も明記します。これは観察研究であり、実験ではありません。著者自身、他の要因が影響した可能性を認めています。また対象は経験豊富な医師だけです。ですので、この結果だけで技能低下が証明されたとは言えません。ただ、確かめる価値のある問いが1つ増えました。影響を受けるのは新人だけなのか、という問いです。

4本目:自分が出した文章を覚えていないという結果(プレプリント)

Kosmyna ら(MITメディアラボ、2025年、arXiv:2506.08872)の研究は、査読前のプレプリントです。

米国ボストン圏の5大学から18〜39歳の54名を集め、ChatGPTを使う群、検索エンジンを使う群、何も使わない自力群に分けてエッセイを書かせ、脳波を計測しました。

一番よく引かれている結果はこれです。書き終えた直後に、自分が書いたエッセイから正しく引用できなかった人が、ChatGPT群では83.3%(18人中15人)。他の2群では11.1%(各18人中2人)でした。著者らは、AIに頼ることで思考の努力が先送りされる状態を「認知的負債(cognitive debt)」と呼んでいます。脳内の結合は自力群が最も広く、ChatGPT群が最も弱いという結果も出ています。

限界は大きめです。54名という少人数で、エッセイ執筆という限られた課題です。方法論には公開の批判もあります。著者自身「文脈に依存しており一般化はできない」と明記しています。

ですので、この記事はこの研究を「AIを使うと脳が衰える」という話には使いません。使うのは2つだけです。自分の名前で出した文章の中身を、書いた直後に説明できないという行動が起きうること。そして「認知的負債」という概念です。後で払う前提で先送りしている、という言い方は、現場で起きていることをよく説明します。

4本を並べて言えること

4本の性質はバラバラです。教育、医療、実験室。査読済みが3本、プレプリントが1本。無作為化した実験が1本、準実験が1本、観察研究が1本。

だから「証明された」とは言いません。**言えるのは、分野も方法も違う研究が、同じ方向を指しているということです。**出力をAIに任せると、成果物の質は上がる。しかしAIがない状態での人間側の力は、上がらないか、下がる。少なくともその可能性は、真面目に扱う価値があります。

ひとつ、正直に添えておきます。4本とも学校か医療現場の研究で、企業の職場で業務文書をAIに書かせた場合を直接測ったものは、まだありません。私たちがこの4本から持ち出しているのは結論そのものではなく、「出力を代行させると、代行された側の力は伸びない」という共通の形です。

先に言っていた人がいます

この逆説を最初に指摘したのは私たちではありません。一般社団法人中小企業AI活用協会の研究サイトは2026年1月17日の記事で、専門家の懸念として「AIが人間の熟練に必要なプロセスを肩代わりすると、経験に裏打ちされた暗黙知が集団から失われていく」という声を紹介し、「若手が最初からAI頼みで業務をこなすことで現場経験を積めず、新人育成やナレッジ継承の方法を再考せねばならない」と書いています(該当記事)。

同じことに気づいている人は、すでにいます。この記事はそこから一歩進めて、どこまで裏付けがあるのかと、明日から何を変えるのかを扱っています。

AIは「場(Ba)」になれるか

ここからは、SECIモデルのもうひとつの中心概念に踏み込みます。多くの解説記事が「AIは共同化と内面化を担えない」で止まるのは、そもそも「場」の定義に立ち返っていないからです。先に実務の打ち手だけ知りたい方は、次の章まで飛ばしてもらって構いません。

場の定義に、バーチャル空間は最初から入っている

野中氏らは2000年の論文で、場を「知識が共有され、創造され、活用される、共有された文脈(a shared context in which knowledge is shared, created and utilised)」と定義しています。哲学者の西田幾多郎が提唱し、清水博が発展させた概念に基づくものです。

そして、次の一文が重要です。

Ba does not necessarily mean a physical space... It is a concept that unifies physical space such as an office space, virtual space such as e-mail, and mental space such as shared ideals.
(場は必ずしも物理的な空間を意味しない。オフィスのような物理空間、eメールのようなバーチャル空間、共有された理想のようなメンタル空間を統合する概念である。)

**つまり原典の時点で、場は対面に限定されていません。**2000年の論文がすでに、eメールを場の例に挙げています。「AIは物理的にそこにいないから場になれない」という反論は、原典の定義からは出てきません。

ただし、原典には条件も書かれています。場の参加者は単なる傍観者ではいられず、行為と相互作用を通じて場にコミットしている("Participants of ba cannot be mere onlookers")。傍観者はダメだ、と言っています。この一文が、AIを場として考えるときの試金石になります。

4つの場の構図を見ると、問いが2つに割れる

原典は場を4つに分けています。個人か集合か、対面かバーチャルかの組み合わせです。

創発場(個人×対面)は共同化の文脈です。ケア、愛、信頼、コミットメントが生まれる場だと書かれています。

対話場(集合×対面)は表出化の文脈です。創発場よりも意識的に構築される場だとされています。

システム場(集合×バーチャル)は連結化の文脈です。原典は、オンラインネットワーク、グループウェア、文書、データバンクといった情報技術が、システム場が生まれるためのバーチャルな協働環境を提供する、と書いています。

実践場(個人×バーチャル)は内面化の文脈です。マニュアルやシミュレーションプログラムといったバーチャルな媒体を通じて形式知を身体化する場、とされています。

この構図を見ると、「AIは場になれるか」という問いは、ひとつの問いではないことが分かります。2つに割れます。

ひとつめは、AIはシステム場と実践場を担えるか。これは原典の論理でいえば、担えます。もともとITやシミュレーションが担うものとして定義されているからです。生成AIは、その延長線上にある新しい媒体です。ここに議論の余地はあまりありません。

ふたつめは、AIは創発場と対話場を担えるか。こちらは難しい。原典がこの2つを「対面」の条件つきで定義しているからです。

対面を身体の問題として捉える立場

創発場・対話場を対面に限定する立場を、はっきり言っているのが経営学者の入山章栄氏です。

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの連載『世界標準の経営理論』第41回(2024年3月24日)で、入山氏は京セラが百畳敷きの和室でコンパを開くことを例に、椅子と違って畳では身体が自由に動き「身体の共振」が起こる、と論じています。この回全体を通じた主張は、AIが人を代替すると言われる時代だからこそ、生身の人間どうしの知の創造が重要になり、それを説明するのがSECIモデルだ、というものです。

この立場は、原典の「傍観者ではいられない」という条件とも整合します。行為と相互作用のコミットメントを、身体の同席として読む立場です。

「問い手としてのAI」が対話場に入ってきた実例

一方で、実際の現場では別の動きが始まっています。

NTTデータとフォーティエンスコンサルティングが2026年6月8日に発表した「デジタルSECIモデル」の実証です(ニュースリリース)。対象は製造業のSCM、具体的には材料手配計画の業務です。2026年5月に実証を開始しています。

仕組みはこうです。チューターAIエージェントが、経験の浅い担当者に対して、計画を立てるときの変化点・留意事項・業務ルール・調整観点を提示します。答えを出すのではなく、どの観点で考えるべきかを示す役割です。そしてインタビューAIエージェントが、立てられた計画結果をスコアリングして判断の質を可視化し、熟練者や担当者と対話形式で振り返りを行います。そこで、熟練者自身が言語化しきれていなかった判断理由や着眼点を引き出す。NTTデータがAIエージェント基盤の設計と実装を、フォーティエンスがSCM業務の知見に基づく知識設計・業務設計を担当しています。

注目したいのは役割です。**このAIは、答えを出す側ではなく、問う側にいます。**熟練者に向かって「なぜそう判断したのか」を聞き、本人に言葉にさせている。表出化を代行するのではなく、表出化を人間に起こさせる装置として設計されています。

原典が対話場を「創発場より意識的に構築される場」と定義していたことを思い出すと、これは興味深い一致です。意識的に構築するなら、問いを設計できる。AIは問いを設計して繰り返し投げることが得意です。

私たちの見立て

先に結論を3行で書きます。

studio-openai-259.jpg

以下、断定ではなく見立てとして説明します。

システム場と実践場について。原典がITとシミュレーションを想定していた枠に、生成AIは素直に収まります。むしろ従来のグループウェアより強力です。

ここで、この記事の前半と一見矛盾することに気づいた方がいるかもしれません。表出化をAIに任せると内面化は止まる。でもAIは実践場、つまり内面化の場そのものを担う潜在力を持っている。矛盾しているようで、していません。**問題はAIの有無ではなく、AIを「書いてくれる相手」として使うか、「やってみる相手」として使うかです。**この違いは次章の打ち手に直結します。

創発場については、なれないと考えます。ケアや信頼や愛が生まれる文脈として定義されている以上、AIとの一対一の対面をそう呼ぶのは無理があります。ここは人間同士の領域として残ります。

対話場については、「問い手」としてなら部分的に担えます。NTTデータの実証が示しているのは、対話場の機能のうち「問われることで言語化が進む」という部分は、AIが引き受けられるということです。ただし部分的です。集団の中で他人の反応を見ながら考えが変わっていく部分まで、AIが再現できるという証拠はまだありません。

最後にひとつ。野中氏は2025年1月25日に89歳で亡くなりましたが(一橋大学イノベーション研究センターが1月31日に公表。死因は肺炎と報じられています)、生成AIが広まった2023年以降の著作や講演で、この問題を本人が明示的に論じた一次資料は見つけられませんでした。ですので、上の判断はすべて私たちが原典を読んで組み立てた解釈であり、理論の提唱者の答えではありません。「AIは場になれるか」を正面から論じた研究も、まだほとんどありません。英語圏で、企業間の提携が「新しい場(ba)の要素を持つ」と一言触れた論文(Chatterji, Rock & Talamas、査読前)がある程度です。

内面化を守るAI活用の設計

ここまでの話をどう実務に落とすか。6つに絞ります。

1. 「答えを出すAI」と「問うAI」を区別する

これが一番効きます。根拠は先に見たPNASの研究です。答えを出すか、ヒントで導くかの設計の違いだけで、試験の結果は反対を向きました。

具体的には、AIに投げるプロンプトの設計を変えることです。「この会議の議事録を作って」ではなく、「この会議で決まっていないことを3つ挙げて」。「この業務の手順書を書いて」ではなく、「この業務について、手順書に書くべきだが今の説明では抜けている点を質問して」。

前者はAIが表出化します。後者は人が表出化します。出てくる文書は後者のほうが遅いですが、書いた人の中に何かが残ります。

2. AIに書かせたら、本人に説明させる

MITメディアラボのプレプリントで印象的だったのは、自分の名前で出したエッセイから引用できない人が83.3%(18人中15人という小さな規模ですが)いたことでした。書いた本人が中身を持っていない。

これを防ぐ運用はシンプルです。**AIが作った文書を回覧する前に、担当者が口頭で内容を説明する時間を5分取る。**資料を見ずに説明できるかどうかを確認します。

説明できないなら、内面化されていません。それが分かるだけで十分です。責める必要はなく、「じゃあこの部分だけ自分で書き直そう」と決められればいい。この5分は、テスト効果でいう想起練習そのものではありません。ただ、資料を見ずに話そうとして詰まる瞬間に、どこが自分のものになっていないかが分かります。そこから先は自分で書くしかない、と決められれば十分です。

3. AIの出力は「答え」ではなく「たたき台」として扱う

言い方の問題に聞こえますが、運用は大きく変わります。

たたき台として扱うなら、必ず人が手を入れます。手を入れる過程で「ここは違う」「この条件が抜けている」と考えます。それが表出化です。

答えとして扱うなら、確認して承認するだけになります。確認と承認では、頭の中は組み替わりません。

ルールにするなら、「AI生成物はそのまま公開しない。必ず一箇所以上、人が理由をつけて直す」くらいの具体さがいります。理由をつけて、というところが肝心です。

4. すべての暗黙知を形式知化しようとしない

AIが表出化を安くしたので、「これも文書にしよう」「あれもナレッジ化しよう」となりがちです。でも、増えた文書を全部読んで実践する人はいません。

**表出化は、その先に内面化があるときだけ意味があります。**誰も実践しない手順書は、作った瞬間から死んでいます。

そもそも暗黙知の全部が形式知になるわけでもありません。この論点については暗黙知を形式知にする実践方法の記事で詳しく扱っています。

判断の基準はひとつでいいと思います。「この文書を読んで、誰が、いつ、何をやってみるのか」が言えるか。言えないなら作らない。文書の数を減らすことが、ナレッジマネジメントの改善になる場合があります。

5. 素の状態で測る機会を残す

内視鏡の研究が教えてくれるのは、AIなしのときの成績は、測っていなければ気づけないということです。

現場に置き換えると、AIなしでやってみる機会を意図的に残すということです。四半期に一度でも、AIを使わずに提案書を書いてみる。新人には、最初にAIなしで書いたものとAIを使って書いたものを、並べて残しておいてもらう。頻度は業務によりますが、「AIがない状態の自分たちの力を、たまに確認する」仕組みがないと、変化に気づけません。

6. AIを「書いてくれる相手」ではなく「練習相手」としても使う

場の章で書いたとおり、原典は内面化の場(実践場)を、シミュレーションプログラムのようなバーチャル媒体が担うものとして定義していました。つまりAIは、内面化を止める道具にも、内面化を助ける道具にもなりえます。分かれ目は使い方です。

たとえば、手順書を読んだ若手がAI相手に段取りを説明して、突っ込みを入れてもらう。クレーム対応のロールプレイの相手をさせる。判断のケーススタディを出させて、自分が答えてから理由を聞かれる。どれも、AIが書くのではなく、自分がやってみる使い方です。書かせると内面化は止まりやすくなりますが、練習相手にすれば、AIは実践場になりえます。

私たちの現場でも、同じことが起きています

私たちは企業の理念づくりを手伝う仕事をしています。そこでも、まったく同じことが起きています。

生成AIが出てから、理念の言葉を作ること自体は圧倒的に速くなりました。事業内容と創業の経緯を投げれば、それらしいミッションとバリューが何十案も出てきます。文章としての完成度も、正直、高いです。

問題はそのあとです。言葉を作る苦労を省いた分、経営者自身の腹落ちが起きにくくなっています。

理念づくりで本当に価値があるのは、出てきた文章ではなく、「これは違う」「これは近いけど何か足りない」と言いながら自分の言葉を探していく時間のほうです。その時間に、経営者本人の考えが整理されます。整理された人だけが、翌週の朝礼でその言葉を自分の言葉として話せます。

AIが作った完璧な理念文は、作った瞬間はきれいです。でも半年後、経営者がその言葉を暗唱できないなら、社員に浸透するはずがありません。これは理念に限った話ではなく、この記事で書いてきた内面化の問題そのものです。

よくある質問

AIで暗黙知は形式知化できますか

かなりの部分はできます。会議の発言、作業の様子、ヒアリングの記録から、AIは文書のたたき台を作れます。数年前より確実に進みました。

ただし、形式知化できたことと、その知識が組織に定着したことは別です。文書が増えても、それを読んで実践する人がいなければ知識は増えていません。ペルーの大学生を対象にしたHeliyon誌の研究でも、ChatGPTの使用で表出化は改善したのに、内面化には目立った影響がありませんでした。形式知化を目的にせず、そのあと誰が何をやってみるのかまで決めてください。

AIでナレッジマネジメントを始めるとき、最初に何をすべきですか

ツールの選定から入らないことです。まず「今どの工程が詰まっているか」を見てください。文書が足りないなら表出化、文書はあるのに使われていないなら内面化が詰まっています。詰まっている工程が違えば、入れるべき道具も運用も変わります。文書が増えるほど内面化の詰まりは深くなるので、「とりあえずAIで文書を増やす」は、後半が詰まっている会社では逆効果になりえます。

SECIモデルは生成AI時代には古いのでは

むしろ、AIが入ってから使いやすくなった面があります。

「AIを入れたのに現場が賢くならない」という違和感を説明する言葉を、SECIモデルは持っています。表出化と内面化を分けて考えられるからです。この2つを分けずに「ナレッジ共有」とだけ呼んでいると、文書が増えたことを成果だと勘違いします。

もちろん、理論そのものへの学術的な批判は昔から存在します。実証の弱さや、日本企業への偏りといった論点です。それらについては批判と応答をまとめた記事を読んでください。批判を知ったうえで道具として使う、というのが現実的な態度だと思います。

中小企業でもデジタルSECIモデルのようなことはできますか

NTTデータとフォーティエンスの実証のような、専用のAIエージェント基盤を作るのは、規模的に難しい会社が多いと思います。

ただ、あの実証の肝は基盤ではありません。**AIに「なぜそう判断したのか」を熟練者へ問わせる、という発想の部分です。**これは今使っているチャット型AIでも真似できます。

たとえば、ベテランの判断が必要な業務を1つ選び、そのベテランに対してAIが質問を投げる形でヒアリングを行う。質問リストは事前にAIに作らせておく。ベテランが答えたら、その答えに対してさらに「なぜ」を返させる。それを文字起こしして、ベテラン本人に整理してもらう。

このやり方の利点は、ベテランが自分で言語化することです。AIが代わりに言語化してしまうと、意味が半減します。

AIを使うと若手が育たなくなるというのは本当ですか

「本当だ」と言い切れる証拠はまだありません。ただ、そうなりうることを示す研究は複数あります。

トルコの高校生を対象にしたPNASの研究では、素のChatGPTを使っていた群がAIなしの試験で対照群より17%低い成績でした。米国の研究(査読前)では、ChatGPTでエッセイを書いた人の83.3%が、直後に自分の文章から引用できませんでした。

同時に、押さえておくべきことが2つあります。ひとつは、答えを直接出さないよう設計されたAIでは、PNASの負の効果がほぼ消えていたこと。問題はAIそのものではなく設計です。もうひとつは、ポーランドの内視鏡医を対象にした研究が示したように、影響は若手だけの話ではないかもしれないこと。経験2,000件以上のベテランでも、AIなしの発見率が28.4%から22.4%へ下がっていました。ただしこちらは観察研究で、他の要因の可能性も残ります。

「若手が育たない」と若手のせいにするより、AIの使い方をどう設計するかの問題として扱ったほうが、たぶん前に進みます。

まとめ

生成AIが速くしたのは表出化です。速くならなかったのは内面化です。この2つは別の工程で、必要な条件も違います。

表出化が速くなったこと自体は、本当に大きな進歩です。今まで言葉にできなかったものが、形になるようになった。文書の量も質も上がりました。

でも、表出化には学習の副産物がついていました。言葉にしようともがく過程で、本人の理解が組み替わる。その部分をAIに渡すと、成果物だけが残って、人の中には残りにくくなる。生成効果とテスト効果が示しているのは、同じ内容でも、受け取ったときより自分で作ったときのほうが定着しやすい、という差です。

正しい言葉を作ることと、その言葉が使われることは別です。

これはSECIモデルの話であると同時に、私たちが理念づくりの現場でずっと見てきたことでもあります。よくできた理念文が、誰にも使われずに壁に貼られている。原因は文章の質ではなく、その言葉が誰かの中を通っていないことにあります。作った本人が腹落ちしていない言葉は、他の誰にも届きません。理念を実際に社内に根づかせる方法については理念浸透の進め方をまとめた記事で書いています。

AIをどう使うかを決めるときの問いは、たぶんひとつです。**この作業をAIに渡したとき、渡した人の中に何が残るか。**残らないなら、渡し方を変えたほうがいいかもしれません。

参照した一次情報